天親菩薩 −(五世紀頃)

梵名ヴァスバンドゥの旧訳。新訳では世親と漢訳する。北イン ドのガンダーラの生まれ。はじめ部派仏教の説一切有部・経量部に学び、『倶舎論』を著した。その後、兄無着の勧めで大乗仏教に帰し、瑜伽行唯識学派の根底 を築いた。『唯識二十論』『唯識三十頌』『十地経論』『浄土論』等多くの著書 があり、千部の論師といわれている。真宗七高僧の第二祖。(「浄土真宗聖典」 )

最初天親は小乗仏教を学び、その広い学識をもって大乗仏教を厳しく批判していた。その天親が大乗仏教に転じた時のエピソードが伝わっている。
天親は兄弟三人と共にそろって仏道に入ったが、天親の兄、無着菩薩は、すでに大乗に帰して阿踰遮国で説法をしていた。そして弟の天親が小乗にとらわれて大乗を悪く言うのを少なからず心配していた。たまたま、天親が近くを通ることを知り、一計を案じ、弟子に「無着菩薩が危 篤です」と伝えさせた。驚いて駆けつけた天親に向って無着は言った。 「わしは心の病気じゃ。そのもとはお前なのだ。お前は小乗にこだわり過ぎ、大乗の何であるかを全く知ろうとしない。この為に、お前が将来大きな苦を受けるだろうと思うと、心が安まらんのじゃ。」これを聞いて、天親は深く心を動かされ、「兄上がそれほど仰せられるのなら」と、以来、大乗の要義を深く学んだ。
小乗の素養がある上に聡明であり、のちには兄をもしのぐ大乗仏教の学僧となった。大乗をそしるその舌を大乗を弘める大広舌と変えられたのである。

小乗仏教に関して五百部、大乗仏教に関して五百部の論を造り、「千部の論主 」とも称されるようになったが、浄土真宗では『無量寿経優婆提舎願生偈(通称 「浄土論」または「往生論」)』を聖教とする。(「解説 礼拝聖典」)